「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ 3:17)
イエス様の洗礼の後、天から父なる神様の声がありました。

クリスチャン(プロテスタント)です。1日1章の聖書通読。たまに趣味(読書)など。
「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」(マタイ 3:17)
イエス様の洗礼の後、天から父なる神様の声がありました。
ベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた。(マタイ 2:16)
ヘロデ王は自分以上の王が現れるのを恐れました。
この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。(マタイ 1:21)
イエス様こそ、救い主です!
しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。(マラキ 4:2)
神様は正義といやしを与えてくださいます!
神に仕えるのはむなしいことだ。(マラキ 3:14)
人々は堕落して的外れになりました。
私たちはみな、ただひとりの父を持っているではないか。ただひとりの神が、私たちを創造したではないか。(マラキ 2:10)
人間は父なる神様の事を忘れ、裏切る事があります。
わたしの名をさげすむ祭司たち。(マラキ 1:6)
当時、祭司たちは律法に反して病気の動物を神様にささげていました。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。(ゼカリヤ 14:17)
人間の祝福の鍵を握っておられるのは、万軍の主です。
わたしは、偶像の名をこの国から断ち滅ぼす。その名はもう覚えられない。わたしはまた、その預言者たちと汚れの霊をこの国から除く。(ゼカリヤ 13:2)
偽の神・偽の預言者は、いずれ滅ぼされ取り除かれます。
彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。(ゼカリヤ 12:10)
イエス様を拒んできた事を人々は悔い改めます。