主よ、私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。(エレミヤ 16:19)
人間が逃げ場として依存して良いのは神様だけです。

クリスチャン(プロテスタント)です。1日1章の聖書通読。たまに趣味(読書)など。
主よ、私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。(エレミヤ 16:19)
人間が逃げ場として依存して良いのは神様だけです。
私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。(エレミヤ 15:16)
聖書のみことばは何よりの栄養です。
私たちの背信ははなはだしく、私たちはあなたに罪を犯しました。(エレミヤ 14:7)
人間は神様に対しては、隠し事ができません。
あなたがたの神、主に、栄光を帰せよ。まだ主がやみを送らないうちに、まだあなたがたの足が、暗い山でつまずかないうちに。(エレミヤ 13:16)
「神様に栄光があるように」を覚えて生きる必要があります。
主よ。私があなたと論じても、あなたのほうが正しいのです。(エレミヤ 12:1)
人間はこのような態度を貫かなければなりません。
『わたしの声に聞き従い、すべてわたしがあなたがたに命ずるように、それを行え。そうすれば、あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる』と言って、彼らに命じたものだ。(エレミヤ 11:4)
エルサレムの人々は神様との契約を忘れ、反抗し、偶像礼拝をしていました。
すべての人間は愚かで無知だ。(エレミヤ 10:14)
人間には神様の言葉「聖書」が必要です。
彼らは舌を弓のように曲げ、真実でなく、偽りをもって、地にはびこる。まことに彼らは、悪から悪へ進み、わたしを知らない。(エレミヤ 9:3)
神様を知らない人々の地には悪がはびこります。
わたしは注意して聞いたが、彼らは正しくないことを語り、『私はなんということをしたのか』と言って、自分の悪行を悔いる者は、ひとりもいない。彼らはみな、戦いに突入する馬のように、自分の走路に走り去る。(エレミヤ 8:6)
人間は自分の罪を認めたくありません。
子どもたちはたきぎを集め、父たちは火をたき、女たちは麦粉をこねて『天の女王』のための供えのパン菓子を作り、わたしの怒りを引き起こすために、ほかの神々に注ぎのぶどう酒を注いでいる。(エレミヤ 7:18)
人々は的外れな礼拝をしていました。