私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(ヘブル 10:39)
信仰はいのちに関わることです。

クリスチャン(プロテスタント)です。1日1章の聖書通読。たまに趣味(読書)など。
私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。(ヘブル 10:39)
信仰はいのちに関わることです。
キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。(ヘブル 9:14)
死んでいる生き方から離れる力をイエス様が与えてくださいました。
わたしは、わたしの律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(ヘブル 8:10)
神様が人々の心に思いを与えてくださいます。
キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル 7:25)
イエス様はいつも父なる神様と人間の間をとりなしてくださっています。
イエスは私たちの先駆けとしてそこに入り、永遠にメルキゼデクの位に等しい大祭司となられました。(ヘブル 6:20)
イエス様は、人間の手本であり先駆者です。
彼は、自分自身も弱さを身にまとっているので、無知な迷っている人々を思いやることができるのです。(ヘブル 5:2)
自分の弱さを自覚すると、周りの人々へのとりなしの祈りができます。
造られたもので、神の前で隠れおおせるものは何一つなく、神の目には、すべてが裸であり、さらけ出されています。(ヘブル 4:13)
神様には全部バレてます。
もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブル 3:14)
初心を忘れない、神様への信仰を最後まで持ち続ける事が求められています。
これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(ヘブル 2:14-15)
イエス様は悪魔に勝利されています!
神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、(ヘブル 1:1)
神様はいつの時代も色々な方法で私たちに語りかけておられます。